
敷 島 随 想
「連 載」 第 57 回 ***第6番・その7***
***** 中納言家持ー陸奥での終焉 *****
<参考メモ・藤原仲麻呂一家>
<藤原仲麻呂一家の系譜>
鎌足ー不比等ー武智麻呂ーーーー豊成ーーーー継縄(妻:大伴家持の妹)
(南家) ー乙縄
ー縄麻呂
ー房前
(北家) ー仲麻呂ーーーーーーーー真従(まより)(早世)
ー真先(まさき)(真前)
ー宇合 ー久須麻呂(くすまろ)
(式家) ー乙麻呂 ー朝狩(あさかり)(朝猟)
ー小湯麻呂(おゆまろ)
ー麻呂 ー巨勢麻呂 ー刷雄(よしお)
(京家) ー薩雄(ひろお)
ー女 ー辛加知(からかち)
ー宮子 (聖武夫人) ー執棹(とりさお)
(文武夫人) ー児従(こより)
ー東子(あづまこ)
ー女 ー額
(長屋王妃)
ー安宿媛
(聖武皇后)
ー女
(橘諸兄妻)
ー女
(大伴古慈斐妻)
(1)藤原仲麻呂は、藤原鎌足の曾孫に当たります。
(2)武智麻呂の長男豊成は、弟の仲麻呂ほど権勢欲が無く、公明正大な人物であったようで、
むしろ、仲麻呂に朝廷を追い出されて、太宰府に左遷させられるぐらいでした。
因みに豊成の長男継縄の妻に大伴家持の妹が嫁しています。
(3)仲麻呂の子供は、おおよそ男子が9名、女子が3名で、長男の真従は、若くして
亡くなったので、実質的な長男は、真先ということになります。
因みに真先は、天平宝字二年八月一日、従五以上に、昇叙され、八月四日には
因幡守に左遷された大伴家持の後任として兵部大輔兼大和守に昇進しています。
(4)不比等の末の娘を妻にしたのが大伴氏族でも吹負の系列に属する大伴古慈斐です。
大伴吹負ー祖父麻呂ー大伴古慈斐
<藤原朝狩の略歴>
757 天平宝字元年 従五位下陸奥守
758 天平宝字二年 藤原恵美朝臣姓下賜
出羽国雄勝城、陸奥国桃生城造営
759 天平宝字三年 正五位下昇叙
760 天平宝字四年 陸奥国按察使兼鎮守府将軍
従四位下昇叙
761 天平宝字五年 仁部卿東海道節度使兼務
762 天平宝字六年 参議
多賀城修造 (多賀城碑建立)
764 天平宝字八年 9月恵美押勝の乱(父、仲麻呂の乱に行を共にし、三品に叙せらるも、
9月18日近江国高島郡勝野鬼江(乙女ヶ池)にて、斬殺さる。
平成14年2月28日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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